有限会社 ヒューマンリンク

 

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2017年 12月号

生きづらさを抱えること


 前月の通信で共生型ケアサービスについて書きました。障害者介護と高齢者介護について自分を振り返りながら改めて考えてみました。今まで「私の中では意図して区別するのが分からない…」としてきましたが、振返ってみると介護保険に参入するまで、障害者の生活の場や作業所を作って来たのですが、高齢者介護は念頭に置いてなかった事に気づきました。(今回共生型デイサービスがむしろ高齢者デイサービスの延長であることを知って)

 その理由は、「労働力も含めすべてが商品化された資本主義社会では、基本問題は労働と生産をめぐる問題。主要な問題は就労者の賃金問題や生活保障である社会政策。児童・高齢者・障害者等は労働予備軍であり、社会的には補完的施策として社会福祉の対策となる。」(孝橋正一)とばかり思い込んできたことです。私にとって障害者問題は労働問題の延長にあったのです。となると、就労を希望しない高齢者は後回しの存在となったのです。それは同時に労働より前に「どう生きる」を問題にすべきところを端折ってきたとも言えます。正直、介護保険に参入したのは高齢者介護を考えてのことではなく、私の様な民間人に介護事業の道が開かれたからに他なりません。支援費制度、障害福祉サービスが開始されるとすぐに飛びついたのはその理由によります。

 それでも、実際に事業に参入する中で、労働問題より前に、人として「どう生きる」、「どう死んでゆく」を考えて、介護事業そのものに取り組んできたのは間違いありません。又、政治権力の変換によって社会問題、社会福祉が根本的に変わるのではなく、個人生活や家族、教育や地域活動、ボランティアといった1人ひとりの人とのかかわり方が問題だと思うようにはなりました。

 「相模原市」で社会に役に立たない障害者を殺すという事件がありました。私の「人を商品としての労働力としてみること」とあまり変わらないことに気付きました。私の考えも一歩間違えば「役に立たないものは排除する」という効率的な考えにつながるところでした。人は何もできない、他人に世話をかける以外ない状態で生まれてきて、他人に世話をかけるしかない状態で死んでゆきます。どちらも、一人の人生の中で経済効率からすると役に立たない、人に迷惑をかける時間のなんと多いことか。経済的には役に立たないまま死んでゆくかもしれませんが、その人のおかげで笑顔が出たり、和んだり、つながったりして、人が生きる世では、大きな効果を果たしているはずです。

 しかし、お荷物として隔離してしまうとそのことが見えてこないのです。

 個人的には進学、就労、結婚、子育て、両親の介護、見送りから孫の誕生の補助ということを体験させてもらって、一通り人生を実体験してきました。考えてみると、1人ひとりが社会に対してどんな役割をするのか、意味があるかなど考えませんでした。ただある存在が「愛おしい」と思って生きてこれたなと思います。今思うのは、自殺者や犯罪者が決して自分とかけ離れたものではないこと、ただどこかで心の窓を開けて、その思いを誰かに打ち明けたり、葛藤するとかして思いとどめているだけではないか。人は明るい前向きな思いだけで生きているのではなく、暗い闇を抱えながら、葛藤しながら生きているのだなということです。

 私たちの介護・福祉の仕事は、どんなひとであれ、人と寄り添い、その生きづらさに関わることだと思います。生きづらいことは間違いではありません。それを誰と共有してゆくかが鍵でしょう。

 


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