2017年 6月号
私たちは差別は致しません
「何故、障害者福祉と高齢者福祉を区別して捉えることができるのか?障害者差別?高齢者差別?」どうしても解らなくて、引っかかっていたのですが、ある居酒屋で、「ああ、そうか…」という考え方に出会いました。「障がい者の親は、障がいが出るとわかっていて産んだのだから、自己責任として親が責任をとるべきだ。」というのです。
なるほど、「障がいは自己責任で高齢による障害は不可抗力」というわけか。私の中では思ってもみなかった考え方なので、「世間ではそう考える人もいるんだ…」と妙に納得してしまいました。
けど、初めから障がいを持つ子を産んで、世間に迷惑をかけてやろうなんて人が現実にいますか? 仮に、障がいが出ることが産前に分かった(羊水チェックなどで、障がいの有無を調べる人もいます。)としても、「どんな障がいがどの程度出るのか、人として世の中にどんな役割を果たすのか」を知り得るのは神のみでしょう。もし居るのならですが。そしてまた、「障がいが出ることがわかったら堕胎するべきだ。」とでもいうのでしょうか?それとも、「子供と一緒に親も死ぬべきだ」というのでしょうか?
日本では40歳でも「高齢による疾病」からくる障がい者は介護保険の対象になります。 変な話ですね。ブラックジャックという漫画で、「ひん死で重体のギャングの親分を治療して翌日その患者が抗争で殺された。」という話を思い出しました。
本来、医療や介護の世界ではその病や患者個人の背景によって治療もしくは介護を「するしない」を決めたりしないでしょう。「この人は良い人だから治療する。この人は悪人だから治療しない。」「この人は高齢だから介護する、この人は若いから介護しない。」ということが堂々とまかり通っていいのですか?
私の考えが間違っているのでしょうか? いや、そんなことはないと思います。
(有)ヒューマンリンクでは悪人や善人、年齢で差別するような介護は致しません。