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2017年 3月号

貴方のバレンタインデーは?


 2月14日、バレンタインデーでは様々なドラマが生まれたように思われますが、貴方はいかがでしたでしょうか? ご承知のように、この愛する人にプレゼント贈与するというバレンタインデーは日本に古くからあった風習ではありません。バレンタインデーだけではなく、お誕生日や母の日、父の日、そしてクリスマスもそうです。

 では、日本にはプレゼントの風習はなかったのかというと、そうでもありません。年に二回、お中元とお歳暮、冠婚葬祭の祝儀や香典、病院のお見舞い、おすそ分け、そして旅行のお土産にお年玉といったところでしょうか。しかし、プレゼント(贈与)でも、何らかのお返し、見返り(答)を予定している「贈答」と見返りを求めない「贈与」「寄付」とは違いがあります。

 これは何故か、調べてみました。西洋、東洋を問わず、プレゼントは収穫できたことへの神への感謝をあらわす「供物」からきているようです。ところが八百万の神を敬う日本とキリスト教やイスラム教など、一神教とでは考え方が違ってきたのです。一神教の神は唯一絶対ですから、聖と俗は明らかに分かれています。そんな崇高な神にお供えするのですから、来世を願っており、「見返り」などは考える余地もありません。それに引き換え八百万の神はどこにでもいる身近な神様ですから大きな石や木、トイレにまでいて、ついつい拝みたくなります。しかし現世利益を叶えてくれない「見返り」がないとなると意外に雑な扱いをします。確かに日本でも聖域であるお寺や神社に行って拝むのは、来世ではなく交通安全、無病息災、家内安全などの現世利益に決まっています。そういえば、バレンタインデーのお返しにホワイトデーを作ったのは日本人だけだそうです。

  資本主義社会では全てが商品化される様になるとされますが、商品経済とは交換・等価交換を意味するので、見返りのない「贈与・寄付」や公益活動は経済活動外のものとされます。しかし、なくならないのです。 現に日本でもクリスマスや誕生日などで子供たちや愛する人たちに見返りのないプレゼントをする風習も根付いてきているような気もします。阪神大震災や東日本、熊本地震などでのボランティアや市民公益活動、義援金は決してお返しや見返りを求めたものではないと思います。見返りのない無償の活動がボランティアだとするなら、この世の中ボランティアなしでは暮らしてゆけない気がして、河内長野市民公益活動支援センターのセンター長などもしています。

 プレゼントがすべて見返りを求めた打算的なものではないと信じている私です。

 


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