有限会社 ヒューマンリンク

 

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2015年 6月号

死は生の隣にいます


 私事ですが、3月30日今年齢90歳になる母が他界しました。いつものようにキッチンで夕食をとり、いつものようにテレビを見ていたのですが、隣で食べている父親(96歳)にしなだれかかってきたそうです。「おばあちゃん、こんなとこで寝んとベッドに行きや…」という父親の声に、いつもと違うものを感じた嫁が見に行き、声をかけたのですが、即は返事せず意識をなくしていました。少しして意識は戻ったのですが、やはり心配なので救急に電話しました。大阪南医療センターに担ぎ込まれ、少し入院して様子をみようかということになって私と嫁はいったん帰宅したのですが、すぐに急変したという連絡があり、駆けつけたときには呼吸は止まっていました。
 苦しそうな様子もなく「そしたら明日の朝又来るからね…」といった私に、「お世話になりました…」というのが最後の言葉でした。
 その後は葬式はどうするのか、誰を呼ぶのか等迷いましたが、真夜中でも葬儀屋(メモリアルホール)の電話番号が煌々と点いていたので連絡を取り、早速相談に乗ってもらうことが出来ました。大阪にいる親族も少なく、高齢がゆえに父母の友人も少ないので、小規模の家族葬にしようということにしました。小規模とはいえ葬儀にはそこそこ費用が掛かるもんだということは良くわかりましたが、なんとか終えることが出来ました。特に、宗派については複雑(祖父は神道である黒住教で葬儀、墓もその形だが、父母も喪主である私もトンと縁がなく、かといっていきなり仏教のどの宗派というのもなく、結局無宗教の人前葬ということにしました。無宗教といっても、何もなしではおさまりがわるいので、仏教的なものということで、皆で般若心経を唱えるということにしました。お通夜では私の詩吟や息子の舞踊を披露し、父は母が好きだったペギー葉山の「南国土佐を後にして」を姉と歌っていました。風変わりだったかも知れませんが、「良い式だった」と納得しています。また、その際お悔やみをいただいた皆様には深く感謝いたしております。ありがとうございました。
 60年以上連れ添った相方をなくした父の悲しみ方は大変なもので、日々泣き暮らしておりましたが、49日、50日を経た今は落ち着きを取りもどしております。
 還暦の60歳になる今年、年頭の言葉を「覚悟」としたのですが、「こういうことか!」と思わされた次第です。死は誰にも避けられません。そして死は突然やってきます。つまり生の隣にいるのです。「その覚悟がいるんだよ」ということなんですね。
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