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2014年 7月号

世間を学ぶとは…


 年が若くて人付き合いが狭く、世間の事を知らない人のことを「世間知らず」といいます。「社会知らず」とは言いません。「社会知らず」というと何か学校での社会科の成績が悪いことを指しているようですね。生きてゆくうえでは学校で習う「社会」ではなく、「世間」というやつを知らないと生きにくいようです。
 「貧しさにまけたぁ〜 いいえ、世間にまけたぁ〜」とは歌いますが、「いいえ、社会にまけたぁ〜」とは歌いません。そうなんです、世間に負けることはあっても、社会に負けることはないのです。つまり、世間は個人の外側にあって、個人があがいても変えようのないもので、時には激しく攻撃してくるものです。社会はというと、個人の集まったものですから、個人が変われば変わってゆくものなのです。社会変革はできても、世間変革はできないということです。
 介護の難しさは、学校や研修で知識や技術を身につけても、実際に現場に適用するとなると、世間の見方、常識というやつを身につけないと、弾き飛ばされてしまうからです。例えば、「介護の目的は、要介護者の残存能力を維持し伸ばすことだ。」と習ったとしても、サービスに入っていきなり「あなたの残存能力を伸ばすために、自分でできることはしっかりやりましょう、私が自立支援のために見守ります。」なんて事を言おうものなら、「帰れ!」といわれるのが必定でしょう。そこへ行くまでには人としての 信頼関係「この人の言うことなら聞いてみようかな…」が育ってないと受け入れられないでしょう。
 では、その信頼関係はどうすれば育つのでしょうか?個人差はあると思いますが、一般的には
 @ 誠実である(嘘をつかない、知ったかぶりをしない)
 A やさしい、思いやりがある(相手の言い分をまずは受け止める)
 B 世間の常識を身につけている、もしくはつけようとしている。
といったところが大切でしょう。
 ところが、この世間の常識というやつが曲者で、学校では教えてくれませんし、家でも環境によって違いがあります。河内の人であれば「朝は茶粥やろ」と言って通じますが、他所出身だと通じません。また、部落差別、民族差別など露骨な差別を当たり前のように話す人も少なくありません。間違っているのですが、単純に抗議するだけでは仕事になりません。間違っていると言うことを理解してもらうのに時間がかかる人もいます。認めるのではないが聞き流すこともあります。(セクハラなど、差別を行動に移されたり、本当に重大な差別は抗議することも必要ですが。)
 いずれにしろ学校では習うことのない世間について、勝手に悩むのではなく、事務所で、会社で話し合いを持つことをお勧めします。

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