2014年 1月号
今年は世の中変わるかな?
12月4日、日本の障害者問題の根底を揺るがす決定が参議院本会議の全会一致で行われました。 障害者権利条約の批准(ひじゅん)が決定されたのです。 今後の国民生活全般に係るという意味ではオリンピックの開催以上に大きな問題なのですが、マスコミの取り上げ方は皆目です。どうも、日本のマスコミというのは、お涙頂戴の障害者ネタには飛びつくが、障害者の権利は認めたくないようですね。
今年度は手話がひとつの言語として認められ、障害者差別解消法が制定されるなど障害者をめぐる制度が大きく変わる事になったのですが、実質的な変革はこれからのようです。 鳥取県ではいち早く手話に関する条例を定め、小中学校での手話教育が始まるそうです。 従来、世の中は健常者により健常者の為に成り立っており、平均的能力より劣った障害者は一部の「めぐまれない、不幸な人達」であり、同情と憐憫(れんびん)の対象ではあるが、世の中を構成する対等な存在とは見なされてきませんでした。 養護学校、保護施設という名目で障害者を一般社会から隔離してきたのも、決していじめているのではなく、むしろ競争の激しい一般社会から保護する為だと見なされてきたわけです。
これからは、「世の中には様々な能力の人がおり、人はその能力に係らず人として生きてゆく権利がある。」という事になります。 一般とは違った支援学校、支援学級を選ぶのも、入所施設での生活を選ぶのも、本人の意思による選択ということです。 現に普通学校でも支援学級が2クラス・3クラスというのが当たり前になりつつあります。 よく考えてみれば、競争の激しい一般社会が落ちこぼれを生み出し、イジメから自殺者まで生み出している事が異常で、保護されるべきなのは全ての子供たちかも知れません。
今までの大人は、人を救う為の教育が人を蹴落とす為の教育になっている事に、気付いているくせに、一向に修正できなかったようです。年齢に「応じた」平均的な画一教育をして、ついてこれないと落ちこぼれとして切り捨てる。(一月から三月までの早生まれは、四月生まれとは一年も違うのに…)個性や「ゆとり」を強調するにしても、「皆様ご一緒に」と一斉に強制するのですから笑うしかありません。
一時問題になった「乙武さん入店拒否騒動」でも、障害者からすると「お店の予約を取るのは健常者だけ」ということが、無言の前提になっている事が問題だといっているんでしょう。「配慮すべきは障害者というのではなく、社会全体であるべきだ」というのが、合理的配慮というものです。