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2013年 1月号

感謝できるのは強い人


 日頃はさほど信心があるわけでもないのに、正月は別、初詣には行きたくなります。といっても「二礼二拍手一礼」というのが正式な参拝の仕方ということも最近知ったわけで、熱心な神道信者や仏教信徒というわけではないのですが、初詣に行くと「今年も一年が始まるぞ」という清々しい気持ちになります。
お参りに行って神様や仏様にお願いをする、願をかけるのですが、お願いをするには感謝の気持ちが必要だといわれます。神様と人間とでは違うのですが、ある心理学者(河合隼雄)は人への感謝について「強いものだけが感謝することができる」と言っています。
 「他人に心から感謝する、という事は大変なことである。まず、そのためには自分が他人から何らかの援助や恩義を受けた事実を認めなければならない。弱い人はそもそもそのような現実の把握ができないのである。」
 「誰か他人から恩義を受けたとか、援助を受けた、ということを認めた場合、下手をすると、その人が自分より「上」であり、自分がその「下」であると認めなければならない、と思う人がある。別にそこには上下の関係などはなく、援助したりされたりして人間は生きているのだから、それを有難いと感じても、上下関係ではないのだが、そのように受取ってしまう人がある。それが嫌だから、何のかんのと理由をつけて感謝しない人もある。」あるいは、「一種の重荷としてそれを感じてしまう人もある。そんな人は他人の援助を不必要にはねつけたり、受けたとしても、重荷に耐えかねて、かえってその人を嫌に感じたり、何かと非難する事を見つけたりする。」
 感謝するのはなかなか難しい。難しいものだから、やたらに「すみません」を連発して、謝り倒すような人も出てきます。感謝をすると、そのことは心に抱いてずっと持っていなくてはならないから、それを保持する強さのない人はその場しのぎの「すみません」を連発して、相手が心に入ってくる前に水際で撥ね退けているようです。 「自分の受けた恩義を適切に評価し、これに相応した感謝の心を持ち続けて、しかも、自分の存在は何らおびやかされることがない。」となると、よほどの強い人でないと難しいことがわかります。(相手が感謝しないときは、「まだまだ弱いのだなあ」と思いましょう。)
 相手が神様や仏様の場合、直接会話したりすることはない(中にはしている人もいるかわかりませんが)ので、感謝しすぎか足りないかなどと気がねは要りませんし、ある意味「感謝をする練習」になっているかもしれません。
 あらためまして、今年一年皆様方にはたいへんお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
謹啓

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